
結神社は、平安時代末期の嘉応年間(1169年頃)創建で、一説には奈良時代よりもやや古いと言われ、私達が幼い頃には、結大明神と呼ばれ、大変古い神社でした・・・・ 追加情報 ——— この近くにある観音堂と共に、照手姫伝説ゆかりの地でもあります。 織田信長が1575年の長篠の戦いの前に家来に命じて7日間の戦勝祈願を行った場所です。この合戦で勝利した信長は、結大明神に感謝の槍と朱印状を奉納しました ・・・ 追加情報 ・・・この地で読まれた歌
『十六夜日記』や『藤川の記』
阿仏尼(あぶつに)の旅: 鎌倉時代(1279年)、京から鎌倉へ下った阿仏尼が著した紀行文『十六夜日記』に、この地(美濃国)の「結大明神」の記述があります。
歴史ある神社: 平安時代末期(1169年頃)に創建されたとされ、古くからこの地域で「結大明神」として親しまれてきた古い神社です
阿仏尼 『十六夜日記』東下り
十九日、又こゝを出てゆく。よもすがらふりつる雨に、ひらのとかやいふ程、みちいとわろくて、人かよふべくもあらねば、水田のおもをぞさながらわたりゆく。あくるまゝに、あめはふらずなりぬ。ひるつかた、過ゆく道にめにたつ社あり。人にとへば、「むすぶの神とぞきこゆる。」といへば、
まもれたゞちぎりむすぶの神ならばとけぬうらみに我まよはさで
阿仏尼(あぶつに、阿佛尼, 貞応元年(1222年)? – 弘安6年4月8日(1283年5月6日))は、鎌倉時代中期の女流歌人。女房名は安嘉門院四条(あんかもんいんのしじょう)または、右衛門佐(うえもんのすけ)
「藤川の記」と歌枕: 室町時代の公家・歌人である一条兼良が、結の地(現在の安八町周辺)を訪れた際の紀行文『藤川の記』に、この神社や周辺の景色が歌枕の地として記述されています。
一条兼良
応永20年(1413年)、従三位に叙せられて、公卿に列した。
室町時代から戦国時代初期にかけての公卿・古典学者。関白左大臣・一条経嗣の六男[2]。官位は従一位・摂政、関白、太政大臣、准三宮。一条家8代当主。桃華叟(とうかそう)、三関老人(さんかんろうじん)、後成恩寺(ごじょうおんじ)などと称した。
応永20年(1413年)、従三位に叙せられて、公卿に列した。
一条兼良が『藤川の記』の中で結神社(岐阜県安八町)に捧げた和歌は、
離れた家族との再会を強く願った
「なほ頼め むすぶの神の まことあらば 忘るる中も よもや朽ちじと」
というものです。
この歌は「むすぶ」という地名にちなみ、神の霊験によって家族との絆が途切れないようにという切実な願いを込めて詠まれました。
結神社 天御中主尊、高皇産霊尊、神皇産霊尊、猿田彦神を主祭神として祀っています
名前の由来: 万物の生産・生成を掌る神が祀られており、「むすぶ」は物事をまとめる和合円満の意味を持っています *******************************************************
